『一言半句の戦場』を読んで

一言半句の戦場 -もっと、書いた!もっと、しゃべった!

一言半句の戦場 -もっと、書いた!もっと、しゃべった!

 きょうはひさしぶりに開高健さんの今年出版された本『一言半句の戦場』を出してきて読み始めました。これまでにも少し読んでは中断している状況でしたが、今回は落ち着いて読んでみようかと思っています。(『塩野七生さんの『ローマ人の物語』も並行して読みながらですが) 
 この本は、1958年から1989年までの開高健さんの全集や、単行本などに未収録の文章類が収められており、他に「饒舌な年譜」、親しい方たちが綴られた「さまざまな思い出」も読むことができます。きょうの私の読み方は、目次のページを開け、気になる内容いくつかのつまみぐいになりました。
 そのひとつは、1972年の『情熱の生涯 ゴヤ』をみて。・・・開高さんと奥さん牧羊子さん)の対談です。
ゴヤ(画家)の映画の話が出てくるのですが、私も以前この映画をレンタルショップで目にしたことはありました。まだ見たことがなかったのでこれをきっかけに今度借りてみようかと思いました。
 他に、本の題名にもなっている「一言半句」・・・このことが書いてある文章も心に残りました。

 ・・・鍛えられるのは、書きにくい事実を選択したときだね。だから、どちらかと言えば、若い人は自分にとってより書きにくい事実にぶち当たったほうがいいと思うね。キラキラッと光る真実は、事実じゃなくってね、これは格闘からしか生まれてこないからねぇ。挑戦しなきゃ。
 易(やす)きにおちてはアカンですよ、・・・・(略)・・(P.147)

上のような話を、昭和54年の「週刊プレイボーイ」の中に書いておられます。キラキラッと光る真実、作品の中に一言半句でいいから、鮮烈な文句があればもう充分だと書かれてました。
 そういう『一言半句』を書くために、開高健さんは格闘しておられたのだろうと想像します。
 『輝ける闇』『夏の闇』の感想を書こうと何度も読み返したからでしょうか、開高さんの文章を読むだけで、なつかしいような、ジーンと心にしみる感情が起こります。どうしてかは理解不能ですが。どこかさびしげな男の人の心情に触れるからなのでしょうか、それとも格闘の跡が文章を読む時に感動を呼び起こすからでしょうか。・・・?
 

 私の方は、文章を書くための格闘もしないまま、ここに書き残します。続きもまた懲りずに何か書いてみたいと思います。