習慣というもの

なんでもずっと続けていると中毒症状をおこします。よい習慣を中毒という表現は使わないのかもしれませんが。
よい習慣だと思うのに困ったことに感じる“時”があります。その習慣に、他人が関わっている時などです。たとえば、毎日見ているブログ。何かの都合で、更新が遅れたりすることがあります。そんな時、すぐにそれに対応して、自分の心をコントロールできるといいのですが、不安定な心理状態となってしまうとか。


他の例ですが、毎日楽しみに見ている(私ではありませんが)連続ドラマなど、放送局の都合で、変更になり突然お休みになるとか・・・。大変がっかりしたり、中には放送局にメールで苦情を書かれる方もおられたりすると耳にした事があります。


他にも、日本では交通機関など時間に正確ですが、国によっては列車が遅れて来ても人々は騒ぐことなく、じっと辛抱強く待っていたりする光景をテレビなどで見ます。


ある事柄を受け止める“こちら側の感覚”しだいで、同じ状態も、不安定な感情となることもなく迎えられるのかと、ふと思ったのでした。


話は少し変わりますが、私のブログを見てくださる方が、そうかどうかわかりませんが、これから“ミカンの収穫期”になり、ブログの更新が遅れがちになると思いますが、予告していたらいいかなと思いまして、書いて見ました。


右上の写真は、今年の京都の秋の紅葉の1枚です。撮影したのは私ではありませんが写真をもらって載せてみました。