カラマーゾフの兄弟(8)

2部の第5編 『プロとコントラ』を読みました。この表題の意味からしてわからなかったのですが、「肯定と否定」「賛成と反対」という意味だそうです。
神は存在するのか、しないのか。不死はあるのか、ないのか。このような問いが、この小説の中で幾度も出てきます。特に第5編では真正面から話されていました。
私にとっても考えるのは難しいですし、文章を読みこなすのも難しく、2・3度読みましたがうまく説明できません。でも、あえて書いてみます。

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

イワンはこれから、モスクワへ行こうとしており(カテリーナに別れを告げて。)アリョーシャとの別れも前にして、自分をよく知ってもらいたいとアリョーシャが聞きたいと期待しているだろうこと、『神はあるか』『不死はあるか』(また>「兄貴の信仰ってどんなものなのか、それとも信仰などまるで持っていないのか」P.212) などについて話し始めます。


イワンは『神は受け入れる』が『神の世界は受け入れられない』といい始め、それはどういうことかと、自分のつくった物語詩である「大審問官」を語ります。
スペインのセヴィリアを舞台にした15世紀ごろで、異端者をたくさん火刑にしていたひどい時代に、キリストが一瞬地上に降り立った時、大審問官に捕らえられるのです。罰せられようとする時に、じっと黙っているキリストに向かい、大審問官がとうとうと論説する内容になっています。
大審問官は、人々はキリストの望む“自由”を重たい荷物と感じているのだと言います。もし、キリストが奇跡を行って、有無を言わさず人々に“自分が神の子”であることを信じさせれば良かったのだといいます。
人間の自由を奪わぬために、悪魔の誘惑を断ったキリストを大審問官は批判します。
「人間は良心の自由などという重荷に堪えられる存在ではない。彼らはたえず自分の自由とひきかえにパンを与えてくれる相手を探し求め、その前にひれ伏すことをのぞんでいるのだ。・・・・」と。


・・・・ここまで書いてきて、先日と同じように頭が混乱してきました。もっと読みこなさないといけないようです。どうぞ、皆さんの目で「大審問官」の言っている意味を理解されますように。


2つだけ印象深い所を書いて終ります。イワンが言った言葉ですが、
 (なぜ、「(神の)世界を受け入れないのか?と、アリョーシャが尋ねた時)「・・・おれはおまえを堕落させようなんて思ってないし、おまえの信仰をぐらつかせる気もない。おれはひょっとするとおまえの力を借りて、自分を治療したいのかもしれないんだ」(P.221)


 「・・・俗世とやらでまた会おうじゃないか。おれが人生の杯から唇をはなす三十前ぐらいに、いちど会おう。・・・・」


上の文章を読んでいると、イワンはアリョーシャを好きで、信頼の気持も感じられ、心に残りました。