思索の時間


今日は、mmpoloの日記(ID:mmpolo)を読んで、書いてみようと、思いました。
>人間五十を過ぎると、かなり落着いて、あたりを見回せるものではないかと思います。

年をとるのは、衰えるところもたくさんあって、残念なこともありますが、mmpoloさんの先生のお言葉のように、その年にしか、味わえない思いや、考えを持つことができる。そうしたときの、作品が、どんなものになるのか、・・・その変化も、楽しみたい。

しっかりと、一心不乱(なかなか、できませんが。)に、本を読んだり、よき友から、影響を受けたりしながら、50代、60代、・・90代、100代(こんなに生きられないかな?)
その年の自分が、何を考え、どんなふうに行動しているんだろう・・・。知ってみたい気がします。

話は、少し違うかもしれませんが、美崎さんの、『記憶する住宅』で、ご自身が、実験台のように、多くの記憶を、取り込み、その時に、どんなことを、発想し、表現できるか、試しておられるのと、似ているような気がしました。
昨日、中山さん、三上さん紹介の『ベルリン・天使の詩』の映画の話で、(全知ではないから予感を味わえる)・・では、(全知であると予感がなくなる)・・という美崎さんの言葉、とかから、思いました。
全知  美崎さんも、全知に限りなく近づこうとしておられるのかな??

エスや、お釈迦様、孔明(何でここに並ぶの?と思われるかもしれませんが、・・無知な私ですので、お許しを。)といった、方々のことにまで、mmpoloさんのお話から、思い巡らせてしまいました。

そんなこんなで・・・またまた、家事がおろそかに。もうこのへんで。