ブログ・基調音となる地など


 昨日の大雨とはうって変わって、今朝は明るい日差しで1日が始まりました。毎日の日課、子供を駅へと送りかたがた、八幡川の水鳥を見て、新緑に目を洗われ、空の雲の流れを追う・・・変わらない、これといって特別の事柄もない1日です。
 ふと、ブログを始めてからの7ヶ月の日々に思いが行きました。わずかの期間ですが、めまぐるしい時間が過ぎたような、そう言う感覚があります。
 そういえば、10数年前頃、パソコンやメールを使いこなさないといけないと、一般的にも職場ではプレッシャーがかかり、年配の人の間では、若い人に圧倒されながらも、時代の流れに乗るために、解説書片手に、悪戦される人が多かったのではないかと思います。我が家も、その流れを感じていました。
 いまでは、当たり前のようになっている、パソコンの利用や、メールの利用。

とても便利で、今まで考えなかったこともたくさんできるようになったと思います。でも、便利な道具も使い方しだいで、時に、めまぐるしく感じる事もあります。

 便利になった分、毎日新幹線に乗っているような気がするときがあります。
時には、鈍行に乗って、車窓を眺め、人のおしゃべりをバックミュージックに、過ごすのもいいかもしれませんね。・・・また、道草をしながら、道端に咲く花を愛でたり、鳥のさえずりに耳を傾けてみるのもいいのかと、そんな事を考えました。

 話がそれましたが、私のブログ、これからどんな事を書いていったらいいのだろう。立ち止まって振り返りました。(きょうは、めずらしく。)
もし、変わらない事に意味があるとしたら、・・・・私のブログ、・・・・しばらくは、変わらないで、こんな内容で続けていこう、かと。

 先日来、『神秘のモーツァルト』(フィリップ・ソレルス 著  堀江敏幸 訳 )を読んでいます。話は飛びますが、その中で、「基調音となる土地」がある、・・・・・と言う言葉がでてきます。(訳者あとがき の文中 P.332 )突然こんな言葉を書いて、なんのこと?と思われるでしょうが、『どこにいてもけっしてぶれることのない存在の基調音となる土地』・・・・ぶれないもの。そんな感じで使われているのですが。
 モーツァルトにとっては、基調音となる地はザルツブルグ。著者 ソレルスにとっては、レ島(フランス中西部の港町の沖にある島。鳥たちもいる、水辺、水のそばにある地。)です。
 わたしにとっては、基調音となる地は、いったいどこだろう。と考えました。
そう言う場所を持っていれば、自分の考えがぶれる事がないのだろうかと。

 ぶれる事のない考え、その言葉つながりですが、ブログを続けてきたのも、この場が大事だと思うからです。初心に立ち返り、(少し、おおげさですね。・笑・)地道に、本を読み考え、イラストを描くということを、こつこつと続けようと、思ったしだいです。
 自分の思いを 文章にするのは、むつかしいですね。
きょうは、このあたりで。