朝一番に

作家の方が夢に見たことを小説に反映させる事がある、というのを以前読んだことがありますが、夢ではないのですがふと頭の中に浮かんだことを、きょうは書いてみる事にしました。
なぜふとこんなことを考えたのかと言う事は置いておく事にして、目が覚めて少しの時間の間に、くるくるといくつかのことが頭に浮かぶことがあります。
これから書くことはそのひとつです。
“すれちがい”をテーマにした小説や映画はたくさんありますが、私にとって印象深い物はというと、菊田一夫作「君の名は」

君の名は〈上〉

君の名は〈上〉

と、映画「めぐり逢い」です。
「君の名は」は有名なお話ですが、春樹と真知子、このふたりの主人公が、戦後まもない頃の東京銀座・数寄屋橋で待ち合わせをし、すれちがいとなりなかなか再会することができません。
映画「めぐり逢い」の方でも、主人公のふたりがニューヨークにあるエンパイア・ステート・ビルの展望台で落ち合う約束をするのですが、いろいろな事情ですれちがいます。
もし、携帯電話というものがその頃にあったとしたら、こんなすれちがいは起らなくて、なんとも切ないメロドラマにはならなかっただろう。・・・と、ここまではいつも考えることですが、・・・・
もしかしたらとても便利な携帯電話を持った現代の男女の間にあっても“心の中のすれ違い”と言うものがやはりあるのかもしれない。
どんなにいつも電話をかけたり、メールでつながる事ができるようになっても、すれちがいを無くすことはできないのかなと。
たまたま頭に浮かんだそのことを、朝起きてからもしばらく考えていました。(ブログをはじめて、少し哲学的になってきたでしょうか。)
偶然にも、今朝のNHKの朝の番組は携帯電話に関したトピックが放送されていました。メールをしてすぐに返事がないと気になってしかたなくなる。そのことでけんかにまで発展する・・・。そのような内容も含まれていました。


いつもいつもつながっていて意思の疎通ができそうでいても、その隣り合わせに「すれちがい」が存在しているのかもしれませんね。


話も途中ですが、きょうのところはここまでにします。