「悪童日記」を読んで


現実離れしたような双子の子供たちが出てきます。そして、おばあさんも、変わっている。
また、小説には、つき物なのかもしれませんが、男女の性の記述が、気になります。こういう描写を入れなければいけないんだろうかと・・・・思います。この『悪童日記』、そして以前に読んだ、『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著作)でも、目を覆いたくなるような、強姦のシーン。戦争時、と言う異常な時代背景があるからなのでしょうが。
しかし、小説を読む時に、ここまで異常でないにせよ、男女の性を抜きに、書かれているものが、少なくて、逃げ腰になります。(近頃、たまたま読んでいる、村上春樹さんの小説でもそうですし。)

話は、変わりますが、今回の『悪童日記』の印象深いところを、2箇所。

一つ目、「私の愛しい子!最愛の子!私の秘蔵っ子!私の大切な、可愛い赤ちゃん!」これらの言葉を思い出すと、ぼくらの目に涙があふれる。これらの言葉を、ぼくらはわすれなければならない。というのは、今では、誰一人、ぼくらにこの類の言葉をかけてはくれないし、それに、これらの言葉の思い出は切なすぎて、この先とうてい胸に秘めてはいけないからだ。
・・・これは、忘れられないシーンです。

2つ目は、脱走兵のところです。
「ぼくら、特に親切にしたかったわけじゃないよ。ぼくらがこういうものを運んできたのはね、どうしてもあなたに必要だったからなんだ。それだけのことさ」
・・・・かんたんそうで、できないことだと、心に残りました。

この小説は、強烈なシーンが、多いのですが、暖かいものが流れているところが、なん箇所もあります。読み終えたときに、内容の悲劇さを通り抜けて、根底に流れる、大事なものに、共感するところがあるからでしょうか。うまくは言えませんが、何かを考えさせられる、本でした。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

ワイルド・スワン(上)

ワイルド・スワン(上)

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*mmpoloさんのブログ、『正宗白鳥の碑』を読んで


mmpoloさんのブログに、正宗白鳥の碑というエントリーがありました。心理学者、小倉佳代子さんのコラムについて書いておられました。http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20061202/1165020059
脳死」にも「臨死」にも、人間が一人で迎える孤独で恐ろしい意識体験という側面が抜け落ちている。・・・(略)・・・・去年亡くなった作家の井上靖氏は、死につながる昏睡に入る10分前、娘さんをびっしり見つめてこう言った。「大きな大きな不安だよ、君。こんな大きな不安には誰も追いつけっこない。僕だって医者だって、とても追いつくことはできないよ」

死を目の前にしたとき、自分がどういう気持ちになるのだろう。じっと考えて見たことがない。遠くのことのような気がして。
そんな不安をどう克服するのだろうか。傍に誰かが始終いてくれたら、不安は軽くなるのだろうか。年をとっても、元気で働けて、枯れ木のごとく消えることが出来ると良い・・・と、思ったことがあったけれど、その前に、ぼけてしまって若い人にお世話になるかもしれない。ぼけてしまったら、不安とか感じないのだろうか・・・
いろいろ、考えました。
mmpolo(id:mmpolo)さん、いつもいろいろな情報を、いつこんなに読まれるのだろうと、想像します。今日はコメント欄でなくこちらに書かせていただきました。