「夏の闇」を読んで(2)


 開高健さんの「夏の闇」のことを第2弾になりますが少し書いてみようと思います。

 最初の扉を開けたところに、(本文の前ですが)
 > われなんじの行為を知る、
なんじは冷かにもあらず熱きに
もあらず、われはむしろなんじ
が冷かならんか、熱からんかを
願う。     『黙示録』    

という言葉が書かれていました。なぜこの言葉をここに持ってこられたのだろうかと考えました。
そう思って、読み返していると、次のような場面と会話があり、開高さんの言いたかったこと、を考えました。
 (主人公が女性といっしょに住んでしばらくたった頃、その女性も長年の夢であった博士号がもうすぐとれそう・・そんな折、ひょんなことから、彼女の毒舌がはじまり、その時、主人公がいったせりふです。)
>「もういいよ。そのへんでいいよ」
 ・・・・(略)・・・・・
 「それだけ日本が憎めるのはうらやましいよ。いままできみはそれでやってきたわけだ。たったひとりでやってきた。問題はこれからだと思うな。きみは博士号をもらうだろう。きっともらえると思うね。・・・・(略)・・・・
博士になったらきみは日本に復仇できる。みごとにできる。するとそのあと、どうなる。・・・・(略)・・・
憎悪という情熱が殺される。酔いがさめる。酔えなくなったら生きていくのはつらいよ。つぎは何にすがったらいいか。そこをどう思う。何か酔えるもの、夢中になれるもの、ある?」(P.147)

 この言葉に女性はとても傷つき泣き崩れる、という筋ですが、
こういわれたときのショックがこれほどだろうか?ということは、今はおいておいて、

 情熱がなくなったとき、酔いがさめたとき、そこから先をどう生きていけばよいのか、主人公も言っているように、女性に向けた言葉は自分に向けられた言葉でもあると。・・・・ このあたりが、夏の闇をくぐりぬけていく、明るい場所に出て行こうとする過程での、小説の山場だろうかと思いました。
 だれもが程度の差こそあれ経験していることですよね。恋愛、結婚、仕事、・・・いつも酔っているときばかりではなく、また夢中になれるものがない時、・・・そのような時に、何を考え、何をするだろうか。
ただ、主人公が何か立ち直るきっかけを見つけヴェトナムの戦場へ帰っていく時、別れていく女性の立場がせつない。そんな気もしました。


 黙示録の言葉から連想したのですが、作者の開高健さんも、熱い方で、まあまあ・・がなかったのだろうかと感じました。
 うまくまとまりませんが今日のところは、このへんで終わります。

夏の闇 (新潮文庫)

夏の闇 (新潮文庫)