小林秀雄さんの本


モーツァルト (集英社文庫)

モーツァルト (集英社文庫)

日本文学の光と影―荷風・花袋・谷崎・川端

日本文学の光と影―荷風・花袋・谷崎・川端

近頃読んでいる本のことを少し書いてみます。
1番時間を費やしたのは、小林秀雄さんの『ドストエフスキイの生活』。読んでいて面白かったので、同じく小林さんの本、『モーツァルト』を読んでみる事にしました。高校時代には、評論文を読むということで、楽しみで読むと言うより、いかに国語の点数をあげるために文の要旨をつかむかに力が注がれていたように思いますが、近頃は小林さんの著書を楽しみで読むようになりました。
そのきっかけのひとつには、梅田望夫さんお薦めの小林秀雄著 『近代絵画』を読み面白かった事に加え、吉田秀和さんの奥さんであるバルバラさんの本を読んでいましたら、文中に小林さんの事が書かれていまして、いっきに小林秀雄さんが“とても身近な”方となった気がし始めたからです。
バルバラさんがどのように書いておられたか、手元に本がありませんので正確には思い出せませんが、
バルバラさんに接する時、外国人として改まって接するのではなく、また女性だからと区別する雰囲気がなく(人)対(人)として接する方だったと、回想しておられました。小林さんと吉田秀和さんの家がご近所だったようで、時には道で出会い挨拶を交わされる事もあったようで、「締め切り間近なのでね。」と言って家に入っていかれることもあったような。小林さんも締め切りに追われる日々を送っておられたのかと、私の中ではとても偉い評論家の先生のイメージで遠い存在だった方が、バルバラさんの言葉を読んでからは、少し“生身の男性”“人”として、頭の中でイメージが膨らむようになりました。(もちろん、好意的に。)


それはさておき、『ドストエフスキイの生活』と『モーツァルト』2冊を読んで思ったことですが、読むときにこちらの頭をクリアにしていないと、何が書いてあるのかわからないこともしばしばで、試されているようにも思えてきます。「真剣に読んでいますか?」と。
でも、本気で読むと、実りが多く、そんな時の心の充実感は時間がたっても色あせないものがあります。
小林さんの他の文章、(読書について)の中に、こんな言葉を書いておられました。
>>はっきりと目覚めて物事を考えるのが、人間の最上の娯楽だからである。


まだ、少ししか書いていませんが、このへんで休憩します。