外の空気・青空のような愛


いつものように図書館に寄ると、めずらしい木の実に目が行きました。
去年の秋には、紅葉で楽しませてくれていた『アメリカフウ(マンサク科)』と言う木に、まるで、クリスマスツリーの飾りのような形の実が、釣り下がっています。
いままで、何度も通っていた道なのに、はじめて気がつきました。写真は、可愛く撮れていないので、秋に撮った1枚(同じ木です。)と合わせてご覧ください。


上の木が、今はこんな風に・・・。


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午後から小雨が降りましたが、傘をさし少し歩くうちに雨も上がり、気持もすっきりとして、元気が出てきました。
途中、なんだかいい香り。きょろきょろしてみると、水仙の花が見えます。ああ、それで、すがすがしい香りだったのだと思い、今度は少し甘い香りがすると思うと、蝋梅(ろうばい)の木が並んでいます。雨上がりだったので、ひときわ香りが強くなっていたのかもしれません。
道路わきの紅梅も、紅色のつぼみが、ふくらんでいます。もう少しすると、赤白の梅の花も咲き、いい香りがするようになりますね。


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「三上のブログ」にて、「青空のような愛」と言う話をしておられ、私も考えてみました。http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20070123
いつも、澄み切った青空を見ているとき、
どんなお金持ちの人も、貧しい人も、世界のどこにいても、信じる宗教の違う人も、年齢にも関係なく、
平等に、というか、同じように、見上げれば青空があるんだな、と。
だれにも、同じように、受け取ることができる愛・・・そんな愛があるといいなと、思いました。
散歩をしていても、時々思うのですが、何千年前の人々も、美しい月や星、朝日や夕日、そして木や花・・・・その美しさは、今と変わらず、その意味では、満ち足りた気持を持つ瞬間は変わらないだろうと。どんなに文明が発達しても変わらないものが、あるんだろうな・・・とか。
難しいことはわかりませんが、ふと、こんなことを考えましたので、書いてみました。