『ドストエフスキイの生活』を読む(2)

午前中しばしの間、読書タイム。日常の生活とはかけ離れた世界への小旅行のようなものです。
この本は、すぐに読めるような内容ではなくまだ全部を読めていません。そろそろ返す時期なのですが、手離しがたく図書館へ返しに行く前にもう1度と思い読み始めました。(延長貸し出しができたらまた借りようかとも思っています。)


今日、気になった所は、『ドストエフスキイの生活』の中にあるこんな部分です。死刑囚の心の苦痛についてドストエフスキイが小説の中で描いているところでした。(小林秀雄さんが引用されている文章です。)内容をここに抜き出すのも少々辛いのですが、すこし・・。

>>「・・(中略)だが、彼に死刑の宣告を確実に知らせてみ給え、気狂いの様になって泣き出しますよ。人間の心がこういう試練に発狂もしないで堪えられるなどと誰に言えたか。何故こんな不必要な卑しい侮辱を人に加えるのか。ことによったら世の中には、宣告文を読み上げられ、こんな苦しみを味わされた挙句、『さあ行け、許してやる』などといわれた男があるかも知れません。そういう男なら、自分の感じたことを話して聞かせてくれるだろう。この苦しさ、この恐ろしさについてはキリストも語っている。いや、誰が何と言おうと人間をそんな風に扱う法はないのだ」(「白痴」)・・・本文のP.56