カラマーゾフの兄弟(3)

きょうは、2編の前半についてのお話をします。
カラマーゾフ家の財産相続問題を話し合うために、修道院に家族全員と親戚の二人も加わり話し合いが始まるという所です。
前半では長男・ドミートリーの到着が遅れていて、仲たがいの張本人である父と長男の直接の話し合いは始まっていません。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

注目するのは三男アレクセイ(愛称アリョーシャ)が尊敬してやまないゾシマ長老の行動やたくさんの言葉に出会える所です。
アリョーシャがとても心配しているのは、家族や親族がゾシマ長老に対して名誉を傷つけるような無礼な態度をとらなければよいが・・・・ということなのですが。さて幕が開いて見ると、父フョールドはいつもの通り“道化役”炸裂で、どうなってしまったんだろう、という感じです。
いっしょに来ている博学で冷静な考えをするイワンも止めないし、場違いな話を次々に始める父親の姿には、読んでいてもゾシマ長老が怒り出さないのが不思議なくらいです。


そんな場面で、こんな言葉がありました。
>「遠慮なさらず、どうかご自分の家におられるつもりでおくつろぎを。大切なのは、あまり自分を恥ずかしく思わないことです。これがすべてのはじまりですから」
また、
>「・・・(略)・・大事なのは、自分に嘘をつかない事です。自分に嘘をつき、自分の嘘に耳を傾ける人間というのは、自分のなかにもまわりの人間のなかにも、どんな真実も見分けがつかなくなって、ひいては、自分に対しても他人に対しても尊敬の気持を失うことになるのです。だれも敬わないとなると、人は愛することをやめ、愛ももたないまま、自分を喜ばせ気持をまぎらわそうと、情欲や下品な快楽に耽って、ついには犬畜生にもひとしい悪徳に身を落とすことになるのですが、それというのもすべて、人々や自分に対する絶え間ない嘘から生まれることなのです。・・・・略・・」

この“自分に嘘をつかない”という所で、考えてしまいます。


フョールドでなくても、私に置き換えても難しいことかもしれません。自分が本当は何を考えているのかを知るということ、もしかしたら本当の気持などをごまかしていることもあるかもしれないのでは・・・。
そんな事を考えてみたり。
他にも、じっくりと読むと心を刺激する言葉が溢れていました。


話足らずですが、次回は2編の後半部分について書いてみます。