「友人」について思うこと

 昨年末からの宿題(「友人」とは)について、少しばかり考えてみます。
私があるエントリーの中で「友人」であると紹介した表現について、「それはあわてすぎではないでしょうか。自分はそういうふうには思わない。」表現は違いますが、こんなご指摘がありました。(要約しすぎかもしれませんが、詳しくは横浜逍遥亭12月31日のエントリーをお読みになって下さい。 http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20081231
 考え方にはいろいろあると思うのですが、「友人」と意識するのはある時点で“決意”を伴うものかと、私は思っているところがあります。だから、時間の長さでは測れないかもしれないと。もしかしたら、いったん決意をしてみてもその関係が壊れてしまうこともあるかもしれません。


 時間をかけなければ「友人」とは言えないのだろうか。
 そのところが、わかるようなわからないような、すっきりとしません。
 時間が短くても、心に「すーっと」信頼できる気持ちが根づく時、小さくとも決意を持った時に、一方の自分にとっては「友人」の意識はあるのではないかと思います。

 「友人」と言う言葉を使うには、言う方、言われる方の双方がそう思っていないと使えないのなら、(気分的には元気はなくなりますが)しかたがないことですね。

 なかなか人の心はわかりません。リアルで接していてもわからないのですから、ネットを通じてですからもっと理解することは難しいのかもしれませんね。
そう思うと、ネットの上で「友人」と表現できるのは、どんな状態を言うのでしょうか。
 
 考えてみましたが、やはり、すっきりとした答えは出そうにないことがわかりました。