『ローマ人の物語』と『サル学の現在』のあいだで

 きょう、横浜逍遥亭でとりあげられていた「ブログの関係はサル的であるという説」を読んでいて、高崎山で目にする「頼る頼られる関係」はとても気持ちよいものだと、中山さんは書いておられました。http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20080923
 サルの社会が詳しく説明されている『サル学の現在』の中から引用されている部分に、大変興味を持ち何度か読み返しました。
わたしもときどきですが、「ブログはどう考えて書いていったらいいのだろう」と迷い始めることがあります。しばらく迷って、多いパターンは、他のブログ仲間の方のエントリーを楽しみに読んでいる自分がいて、一方方向に楽しませてもらうばかりではなく、文章は下手でもこちらからも発信しなくちゃ・・・。と言うところに落ち着きます。こうした状況は、まだ「頼る頼られる関係」と表現するものではないかもしれませんが、『サル学の現在』から引用しておられた文章とブログをめぐる関係は、たしかに言われるように似ていると思いましたし、考える時のヒントになります。
(下・・・引用しておられた文章からの抜粋です)

・・・力量の差にもとづいた強い弱いという関係もあるし、経験豊かな老メスと若メスという関係もある。いろんな頼る頼られる関係が群れの中にはりめぐらされているんですね。そして、頼る側は頼る相手についていこうとする。すると、頼られた側にも頼った相手に頼るという行動が生じ、またその頼られるという行動によって、頼った相手への気配りも見せるようになる。そういう関係の集合体として、群れは構成されているということです。

 「頼る頼られる」は、相互に気持ちが行きかうこともポイントかと思い、そう考えていたら、今読んでいる、『ローマ人の物語』の中の、カルタゴの名将ハンニバルとスペインから一緒に戦い抜いてきた部下との関係に、連想の糸がつながりました。
 こちらは優れたリーダーとはということで書かれていて感じが少し違うのですが、引用してみます。

 人なつこく開放的で、会った人は敵でさえも魅了せずにはおかなかったというスキピオとは反対に、ハンニバルには、打ちとけた感じは少しも見られない。兵士たちの輪の中に入るなどということは、彼にはまったくなかった。
 それでいて兵士たちは、追いつめられても孤高を崩さないハンニバルに、従いつづけたのである。なぜだろう。・・・・(中略)・・・
 優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。 『ローマ人の物語』5 P.53


 高崎山のサルさん達、つぶらなひとみを見ていると、言葉を発していなくても言いたいことが伝わってくるように見えます。目を合わすと攻撃してくると聞いたことがありましたが、大丈夫だったんですね。