『ローマ人の物語』を読んで(9)
カエサルに焦点の当たった単行本4巻から5巻を読みました。
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1996/04/01
- メディア: 単行本
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本文の中で気にとまった文章で、何度か繰り返し出てくるのですが、
「人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲することしか見ていない」(p.357)
ここですが、本当にそうかもしれないと思います。だからこそ、井の中の蛙にならないように・・・、いつもの決まった見方ばかりでなく本を読んだり、外に出て他の人の話に耳を傾けること、行動することをしなければいけないのかと考えてみました。
また、「祖国」に対する考え方について、こんなことが書かれていました。
・・カエサルの考えた「祖国」には、防衛線はあっても国境はない。本国に生まれたローマ市民の、しかもその中の元老院階級に生まれた者だけが、国政を専有しなければならないとも考えていない。被征服民族の代表たちに元老院の議席を与えて、ローマ人純血主義のキケロやブルータスらの反撥を買ってしまったくらいなのだ。カエサルには、国家のためにつくす人ならば、ガリア人でもスペイン人でもギリシャ人でも、いっこうにかまわないのであった。ただし、カエサルの「祖国」は、ローマ文明の傘の下に、多人種、多民族、多宗教、多文化がともに栄える、帝国であったことは言うまでもない。(P.413)
なるほど・・・と思いますが、カエサルの考えに反撥する人々が、自由をもとめ、「祖国」を救うとの、動機を共に持ち暗殺という行動をとったことは歴史上に起こったのは事実で、その後暗殺者たちは、市民からは喝采されるのではなく、意に反してローマを追われる立場に転じてしまいました。
知らないことばかりです。古代ローマの繁栄のかげにいろいろな人々の思惑が交差し合い、もちろん、塩野さんが資料をもとに創作されていることはたくさんあるのでしょうが、同じ状況にいたら、自分だったらどんな行動をとるのだろうかと思うと、考えることが多いです。
まとまりませんが、すこし書いてみました。