『46年目の光−視力を取り戻した男の奇跡の人生』(2)

 『46年目の光』を少し飛ばしながら、最後まで読み終わりました。
主人公メイの、手術前までを前回すこし書きましたが、今回は手術直前と後を中心に書きます。
 主人公メイは、46歳の時に、幹細胞移植手術という最新の治療を受ければ目が見えるようになるかもしれないという、手術を受けるか、受けないかという、思わぬ選択を迫られます。
 だれでも規模の大小はあるものの、どちらを選べばいいだろうかという人生において選択を迫られることがあるかもしれません。

 手術を受けるのに「プラスの要素の箱」「マイナスの要素の箱」に、気がつくことをどんどん入れていたっ時、「プラスの要素の箱」の中身が圧倒的に少なかった時・・・・あなたならどうするでしょうか? 私ならどうするでしょうか?
 その時主人公メイはこう言っています。

 「プラスの箱に目を移すと、そこには一つの要素しか入っていない。ぽつんと一つだけ入っているものがある。その唯一の要素とは、おれの好奇心だ。視覚とはどういうものかを知るチャンス、と言い換えてもいい。どの角度から考えても、このたった一つの要素には、やめておくべきだという山ほどの理由のすべてを上回る重みがあると思うんだ」(第7章 P.183)
 上の言葉は印象的でした。  手術後のメイの描写からは、目が見えるということはどういうことかということを、赤ちゃんに戻った感じで、いちから考えるきっかけになりました。 日頃は、当たり前のこととして意識していないことを、メイや周りを取り巻く人々になった気分で読みながらいっしょに体験するような感じです。  また、視力は正常に回復しても、それだけではものを苦痛なしに理解する(見る)ことができない、ということを知りました。 目の働きと脳の働きが連動して、私たちはものを見て理解しているとのこと。(この説明ではまちがっているかもしれませんが、正確な話は本を読んでみてください。)    手術後も、主人公メイは幾多の苦難にぶつかりますが、その時メイはどう行動するんだろう? そう思いながら読んでいると、最後のページまでがあっというまでした。  医学的な解説の所を飛ばし飛ばし読みましたから、またゆっくり読みなおすといいなあと思っています。
46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生

46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生